2012年8月19日日曜日

エピソード10.4~エピローグ~

2010年秋、Yがいなくなり、そのうち通話してたNもいなくなり、またボクは一人ぼっちになってしまった。。。もうどうしようかと途方にくれていた途中、今年春ぐらいからお金が無かったこともあり一切通っていなかったアイドルの現場にまた、行き始めようという考えが湧き出してきた。

ボクの知らぬ間に、界隈ではアイドル戦国時代と呼ばれるようになっていた。2010夏に開催されたTOKYO IDOL FESTIVALは成功を収めたようで、ももいろクローバーがそこで絶大なインパクトを残したようだった。ボクはまた、ももいろクローバーやその妹分である私立恵比寿中学を応援しに現場に通った。まずはももクロのピンキージョーンズというニューシングル発売イベントが続いていたのでそれに参加した。フリーライブを観覧するには優良な現場として名高いららぽーと柏の葉で彼女たちを見ると、変化が見られた。まず、女性のファン専用席が会場の下手最前列から設けられており、そこで女性ファンたちが30~40人ぐらいはいたこと、そして、休憩中にももクロちゃんたちがスマイレージの「夢見る15(フィフティーン)」を踊っていたことだ。女性ファンの獲得=人気の拡大、他のアイドルに興味を示す=アイドル戦国時代だから?といった時代を反映していたのかもしれなかった。私立恵比寿中学も、新曲として「チャイム!」や「どしゃぶりリグレット」といった曲を発表し始め、どうやらエンジンがかかり始めたといったところだった。

そんな状況の中、他にもいろんなアイドルたちが登場していたらしかった。SUPER☆GiRLS(
スパガ)、ぱすぽ☆、スマイレージなど割と正統派に近い分類から、さくら学院という完全な中学生までのユニットまでさまざまだった(ボクはその2年後、さくら学院しか応援しない父兄になっていた)。

YOUTUBEでたまたまスパガの「みらくるが止まンないっ」という曲を見ていたところ、あることに気がついた。。センターの女の子で、当時は中学1年生だったろうか。前島亜美というツインテールで甘い声の女の子がめちゃくちゃ可愛かったのだ。。。そして、誰かに似ているなと思った・・・

似ているのは、Yに似ているのであった。ボクはこのとき、ある約束を胸に秘めた。それは、「もしもこの先、奇跡的にYとまた連絡が取り合える日が来たならば、スパガの前島亜美に似ているね、と動画付きで伝えてあげよう」、ということである。。。






(冴えないボクの(ネ)ナン生活というブログは、ここでおしまいである)

2012年8月18日土曜日

エピソード10.3〜ワンピースの麦わら姫と〜

Yのことは段々と忘れかけ、Nとスカイプによる交流を深めていったボクはとうとう、幸か不幸か会社というものに入社をし、社畜生活が始まることとなった。ボクは新しい環境に順応することが非常に苦手で、かつて殆ど知らない人間ばかりの空間におかれることとなった高校時代には、入学したての頃緊張しすぎのせいか朝起きると毎日鼻血が出ていたぐらいである。

そんなだから最初の社畜生活もとにかく緊張の連続で頭が真っ白になっていたように記憶している。そんな状態の中、帰宅してはNとスカイプ通話をするような初期社畜生活を送っていたところ、数日経つと意外なアカウントからメッセージが送られてきた。。。

そう、誰かと思えば、突然Yから怒涛のメッセージを受け取ったのである。どうやら以前、ボクがgooのブログに書き綴ったYへの想いを丁度読み切ったところらしく、「こんなに私のことを想ってくれていたなんて」だとか、「今まで信頼していなかったけれど、信頼出来ます」だとか、とにかくボクが何も返事をしなくても、滝のようにメッセージを送ってくるのである。ボクははじめ、そのメッセージ群に対して、「でもしばらくするとまたいなくなっちゃうんでしょ?」と冷ややかな返事を送った。それに対してはこう返ってきた。。「もう二度と離れません。だってこんな悲しい思いしたくないもん」(その約2週間後には見事に1年以上姿を消してしまうわけだから、やはり大物である・・・)。。そしてやりとりはチャットから通話に移行した。通話を開始して一瞬で気付いたのは、彼女が泣いていたということだ。これには参った。ボクが離れた悲しさでなんと、この感性豊かな魔法少女Yは涙を流していたのである。これにはもう、彼女いない歴年齢の冴えない童貞男などいとも簡単に心が奪われてしまった。。。

でも彼女は演技というより、本当に泣いているみたいで(それも童貞の発想と言われればそれまでだが・・・)、最高に守ってあげたくなった。感性豊かで甘くて可愛い声をした魔法少女Yはこの宇宙の法則を上書き保存出来る程の力を持っているかもしれないと当時のボクには思えて仕方がなかった。。。

そして通話中、今まで頑なに拒まれ続けていた念願の「サシオフ」を、いとも簡単に承諾してくれた。JのときもNのときも、あるいは就職にしてもそうだが、上手くいくときは今まで永遠に無理だろうと考えていたようなことが、本当にあっさりいとも簡単に実現してしまうもので、人生というのは分からないなと感じた。人生は確率の勉強をしていると必ず出てくるサイコロを転がすことの連続なのかも知れない。。。そしてYとは次の休日に、秋葉原でデートをすることになったのだ!

デート当日、ボクは電気街口の改札前でYの降臨に備えていた。。。しばらくすると、絶対にこのコだろう、と一瞥して分かるような風貌が現れ、本当にそのコが大学生活板伝説の女固定こと、Yだった!!!その風貌はまるで何かのアニメにでも出てきそうな可愛いお姫様そのもので、今まで会ってきた可愛いと思うランキングを軽く塗り替えてしまった。彼女はまず、麦わら帽子を装着していたのである。そして、服は白のワンピースだった。身長は160台中盤に見え、少々猫背だったと記憶している。体型は普通で、髪は黒かった。。。肌は白く透き通っており、思わず触りたくなってしまった。

ボクを見つけると微笑みながら挨拶をしてくれたが、こちらは完全に緊張してキョドってしまいまともな受け答えは殆どできなかった。

頭が真っ白なまま、UDXへ向かう上りのエスカレーターで、ボクは我慢が出来ず髪を触らせて貰った。Yもそれは拒むことをせず、むしろ受け入れてくれたかのように思う。そのままYはボクを見つめて、その甘い声でこう囁いてきた。「ねえ?私とN、どっちが好きなの?私の方が好きなら、ブログにそのこと書いて^w^」と。。。ボクは状況が掴めず、フリーズしてしまった。。しばらく経つとYも冷静に戻ったようで、「あたしなんてこと言っちゃったんだろう、、これじゃビッチだよぉ。。。」などと呟いていた。その後もアニメイトなど回ったが、エスカレーターのインパクトが強すぎてあまり覚えいない。。そんなこんなで秘密のアキバデートは終了し、自宅でブログに彼女のことが好きだとAAを使って表現した。。

その後もう一度アキバデートは敢行されたが、帰り際に「しばらく○○さんとは会えなくなると思う」という意味深な言葉を残し去っていった。そして彼女は、本当にネットの世界から消えてしまい、それから冴えないボクの、お姫様Yの亡霊ヲタ生活がスタートした訳だ。。。

2012年8月16日木曜日

エピソード10.2〜ねとらじ中毒〜

その後も板で取り巻いたりスカイプで通話をするようなことはあったが、何かのきっかけでボクがYにねとらじの仕方を教えることとなった。すると、これが大ハマりだったようで、Yといえば2ちゃんねるの固定でなく、むしろねとらじDJとして認識されるほどにまでなってしまった。ラジオでは何回も発狂したり泣いたり、ピアノを引いたり歌を歌ったり、猫のモノマネをしたりカミソリをへし折ったりやりたい放題だった。。かと思うといきなり引退宣言をして二日後に復帰するなど、その行動は人知を超えていた。ただボクは、ねとらじを聴くのが大好きでこれが大学生活の唯一の思い出と言ってもいいほどだった。Yもネットラジオが生きがいみたくなっており、「住人、お前らが最後の希望だ!」という伝説の名言が飛び出した。

そんなことをしているうちに、有力な取り巻きというものも台頭してきた。当時はそういう存在が二人いた気がする。Wキムンと、W太郎という固定だ。2人とも自分よりコミュ力が高く面白いことを喋る能力が高いので、ボクよりもYとあっさり仲良くなってしまい、腸が煮え繰り返るぐらいに気分が悪くなりYを追い掛けるのを辞めることにした。

すると、あろうことか離れるとYは擦り寄ってくるのである。近づくと逃げるのに、気まぐれお姫様は猫にも似ていた。スカイプでいきなりボクに対して謝罪してきたのある。だが、ボクは気分が悪かったのであまり許すポーズを取らないでいると、「それでは会いましょう!」となんとサシオフを提案してきたので、ボクもそれに応じた。しかし結局Yは行きたくなくなったようなので、彼女の顔写真を撮って見せる、で話がまとまった。。一日中喘ぎ声をやる、というのも候補に上がったが、下らないので辞めた。

で、彼女が顔写真を取って送ってきたのをボクはみた。美人な顔だった。色白で、物悲しい顔をしていた。写真を送ったあとYは何故か発狂し始め、「ブサイクっていいたいんでしょ?最低ですね!w」という捨て台詞を残してスカイプは打ち切られてしまった。後で和解することは出来たが、本当に感情の起伏が激しいコで、守ってやりたくなった。

だがやっぱり、WキムンやW太郎との方が仲が良く、凄く信頼をしておりボクと話すとときはまるでテンションが違った。例えば名前を呼ぶときボクに対しては「あ、○○さんか...」といった感じなのに、Wキムンという固定が現れると、「Wキムンさぁ〜〜ん!!!今までどこいってたんだよばかやろ〜〜〜!!!w」というぐらい違ったのだ。もうボクは精神的に持たなくなりそうなので追うのをまた辞めることにした。その旨はブログで宣言をしたが、これが職業訓練校に通ってからそこを修了するぐらいの話だったかと思う。その頃ボクは、Yよりもエピソード9に登場したNとの方が仲が良かった。

そんなこんなで職業訓練校効果か就職が奇跡的に決まり、2010年7〜8月には段々とYのことを忘れかけていた・・・

エピソード10.1〜最速のスレッド〜

死にたいスレから忽然と姿を消したY。しばらくは彼女の姿も見かけることはなかったので、何だ、またデビューしてすぐ飽きてしまう有象無象の1人だったのかと落胆した矢先、妙に盛り上がっていたように見えるスレッドが浮上してくるのを目の当たりにした。。ここからが長い長いボクとYとのコンタクトの始まりで、2年半が経過した今でも尚、ツイッターで連絡を取り合うことが出来ているのだ。。。

そのスレッドを開くと、まるで昔の2ちゃんねるにあったような盛り上がりを伺えた。1人の、Yという女固定を中心に、名無しと見たことない固定たちが大量にレスを飛ばしあっていたのだ。。見たところ、殆どはYのアンチみたいだった。。

どうやらボクが知るよりも前に、Yはその年の新入生たちを巻き込んで「ぼっちオフ」なるオフ会を開催していたらしく、そのスレッドに参加したメンバーやオフの参加を中心に大盛り上がりのようだった。。それプラスアンテナの高い大学生活板の現住人も集まっていたようで、こんな人が集まるのは久しぶりに見たような気がした。彼女はカリスマ性抜群で、下手をすれば新興宗教の教祖になれるぐらいの指導力はあるように思えた。

そんなYは、二回目のぼっちオフを自分のスレッドや他のスレッドにまで出張して宣伝しており、女固定とオフ会の組み合わせということで偉く盛り上がっていたように思える。当然ボクもその祭りには参加したかったが、捻くれていたのでここはひとつ前のぼっちオフについて詳細を聞き出し、「真のぼっちいないじゃん」的ないちゃもんをつけた。が、そんなことは相手にされなかったので、第二回のぼっちオフ参加表明をした。

そうこうしているうちに事情が飲み込めないのだが、彼女は何故か骨折していた。。。おまけに顔写真のプリクラやら、松葉杖をついたガニマタの全身画像を自らさらしていた・・・プリクラの画像はまるで幼い純真無垢な少女のようだった(実をいうと社会人になってから自宅に呼びこんだデリヘル嬢にその画像を見せたことがあり、そのデリヘル嬢は中学生のようでまるで成人とは思えないと驚いていた)。

彼女の色んな写真を見ては自分自身の画像フォルダに保存する作業に勤しんでいる内に、気づくと何故か第二回ぼっちオフは中止となっていた!!!全く持って訳が分からなかったが、どうやら悪い名無しだか固定だかの悪口に激怒してやる気が失せてしまったらしい。そう、Yはネットの匿名の書き込みについても真剣考え一喜一憂するような、あまり2ちゃんねるをすべきでない人だったのだ。。。

そんな激動の中、ドサクサに紛れてボクは彼女とスカイプでコンタクトを取ることが出来た。通話まもすることが出来た。最初は30分ぐらいしか話さなかった。とりあえずボクは、たしなめるように、ネットの人間のいうことを本気にしない方がいい旨を伝えたが、Yは心ここにあらずといった風でアドバイスは響かなかったようだった。基本的に人のアドバイスはあまり聴かないワガママ姫みたいだった。。それにまだ心を閉ざしているように見えて、他人行儀な敬語を使った話し方だった。まるで氷に心が閉ざされてしまっているかのように感じた。また、当時の固定事情にボクが多少は精通していることに気付くと、過去の女固定やら特定の歴史を根掘り葉堀り熱心に聴いてきた。その声は凄く真剣で、その熱心さを現実で発揮すればもっと可愛くなれるんじゃないかと言いたかったが、言わないでおいた。

通話終了後、ボクは彼女のことが好きになっていたかもしれなかった。とにかく純粋で、その上おてんば姫みたいで凄く可愛いかったのだ。氷に閉ざされた心を溶かしてあげたいとも思った。オマケに声が甘くて癒された。。。

そんなこんなで気付けばYは板でもスレッドの伸び率がダントツでナンバーワンのトップ固定になっていた。。他の主要な固定たちもみんな、Yの動向に注目しているようで、取り巻きも一杯いた。ボクはその中で1番になろうと頑張っていた。この期間は凄く楽しかった、本当に。

何よりYのおかげで、プロローグに登場した高校時代の部活の後輩♀の呪縛霊としてのボクは、5年経ってようやく成仏したのだ。

2012年8月15日水曜日

エピソード10〜死にたいスレに何かいた〜

エピソード9からまた話は少し遡り、大学4年2009年の年末から年明け頃の話だったか。やはりボクは2ちゃんねる大学生活板をメインの住処としており、特にネガティブ系のスレッドに張り付いていた。例えば、「死にたい」スレや「社会不適合者スレ」、はたまたタイトルの非常に長い「彼女も友達も趣味もないつまらない人生、大学卒業後はそんな人生を継続させるためだけに働かなければいけない現実に絶望している大学生」(長いスレタイを付けられる点は大学生活板の魅力の一つだと思う)といった、その手のスレッドに常駐していた。そんなボクを快く思っていない住人も多く、「ほんとはリア充の癖に非リアぶるな!」といった非難を貰うことも珍しくなかった。しかし、この寂しい男は現実で話しかけられる機会が殆どなかったため、非難の反応でさえ自分に興味を持ってくれて嬉しいと感じてしまっていた。。。

そしてそんな常駐していたネガティブ系スレッド群の1つ、「死にたい」スレを開き、共感できる書き込みでもあったら同意を示そうかとレスをチェックしていた矢先、どうにも違和感のある、普段の大学生活板の空気とは違った雰囲気の書き込みが見慣れない固定ハンドルネームによって書き込まれていた。察するに中の人は女性のように見えたが、スレタイに沿ったネガティブなレスを書き散らしていた。しかし、他の書き込みとはなにかこう、毛色が違っていたのである。。上手く説明は出来ないが、まだ絶望色に染まり切った訳でなく、希望の光も抱えていそうな雰囲気で、そこがどうにも他の住人と違っていたのかもしれない。そのときは、ボクを含め他の住人もその固定について無反応であり、当該スレからもしばらくするとあっさり消えてしまった。。

彼女が後に大学生活板で一大旋風を巻き起こすことになる伝説の女固定(しかもかわいい)、Yであったとは、その時は知る由もなかった。。。

2012年8月14日火曜日

エピソード9.2〜吉祥寺にホテルはあるのだろうか〜

もう少しで卒業間近だという2月中旬だったか、それとも卒業式を迎えた後の話だったか、ボクは職業訓練校に申し込み面接を受けた。職業訓練といってもいろいろあり、ボクが受講したのは民間企業に政府が業務を委託する、基金訓練というやつだ。委託された側の企業は、見返りとして国から補助金を貰える仕組みなのだろう。そういうところに受かり、CCNAというネットワークの資格を目指すらしい講座を三ヶ月受講することになった。その後のことは分からないが、元々コンピュータに興味があり(と、いってもコードを書けるわけで無く、いわゆるパソコンの大先生=ちょっと一般人よりも知っていることが多い程度のレベルであったが)、無料だし無職でしか職業訓練はいけないので良いタイミングだから参加しようぐらいの心持ちだった・・・

それくらいの時も、Nとのスカイプ通話は続いていた。そして、自然な流れで四月の上旬だかに一緒に吉祥寺へ映画をみる約束を交わすことができた。。サシオフである。たまたま当時、ボクは英語のペーパーバックを習慣的に読んでおり、ちょうど不思議の国のアリスが上映されていたので、本の内容も記憶に新しいし行きたいという話をしていたら本当にいけることになったのだ。

当日、待ち合わせ場所は、吉祥寺の改札前だった。やりとりは、メールアドレスを交換することはせずツイッターのダイレクトメッセージ機能を活用した。この機能は、オフ会をするにはすごく便利な機能だった。楽しみに改札前で待っていたが、Nは中々現れなかった。。。そこでボクはいやな予感がし、もしや釣りではないのか?と疑いはじめた。しかしそれは杞憂で、彼女から到着したとのメッセージがあった。初めはどこにいるかわからなかっが、紺のジャケット?に白いスカートを履いていますと来たので辺りを見渡したら、いた。小柄で、細く、可愛らしかった。まるで小動物みたいで、会う前は散々自分のことをブスブスとディスりさらにはメンヘラなのかいきなり泣き出してしまうこともあったというのに、全然ブサイクではなかった。。。サイズも考慮したら今まであってきたネットの女性の中で1番可愛らしいようにも思えた。

Nとの最初の挨拶は覚えていない。おそらく大した話はしていないのであろう。。目的の映画館へ向かう途中、ボクらの目の前をショートパンツ履いた若い女性が横切った。すると、Nは「あの子の脚きれいだね」といった。ボクと見てるポイントが一緒だった。。。

吉祥寺の街は中々オシャレで、デートには最適なスポットだった。こんなオシャレな街を初めて歩くのが、可愛らしい小柄な女の子と一緒のタイミングだったとは、ボクはかなりのリア充気分を満喫していた。この大学卒業〜職業訓練校の時期はかなり楽しかったかもしれない。コンタクトを取れる女性がNの他にも2人いて、1人は我が椎央大学に晴れて入学することとなったK(以前のエピソードで登場済み)と、最終話で登場することになるお姫様のように可愛いYという女の子がいたのだ。Yは、SUPER☆GiRLSというエイベックスの正統派アイドルユニットに所属する、前島亜美にも似ていた。

そんなこんなで映画館に到着し、3Dのメガネを手渡されたボクとNは不思議な国のアリスの映画をみた。どうやら、ルイスキャロルの原作を忠実に再現というよりは、その10年後ぐらいのお話のようだった。映画はあまり見ないので評論めいたことは上手く出来ないが、並の面白さはあったと思う。映画を見ると同時に、ボクは彼女の白いスカートから伸びる脚も見ていた。。。

映画をみたあともしばらく吉祥寺の街をぶらりと散歩したが、人気の少ない場所でボクは変なことを発言してしまった。。。

「ホテルいかない?」

別に本当にホテルへいき行為をしたいという訳でなく、息をするように無意識に発言してしまったのだ。。。それはおそらく、スーパーの女という映画でおっさんがおばさんをホテルへ誘うシーンがいつまでも頭に焼き付いていたせいだと思う。このシーンを現実で使おうとは考えていたので、そのときそれが無意識に出てしまったのだろう。。Nはボクの問題発言を受けて、「殴るよ?」などと怒ったポーズをとっていた。

その後カフェで会話したのち、解散した。カフェでは話すことも思いつかなくなり、「Nちゃん、可愛いねw デュフフww」みたいな気持ちの良くないことばかり喋っていた気がする。。

解散後は、しばらく吉祥寺の街をグルグル周り、お近くの荻窪でまた降り、春木屋の中華そばを食べて帰った。。

いくらネットで何度もスカイプ通話をしているとはいえ、リアルで初対面の女性に、昼間からホテルに誘うのは良くないなと思った・・・・・・

その後もスカイプ通話は何度も繰り返されたが、就職が決まりしばらくした後で連絡がとれなくなりNとの関係は終了した。女性に声をかけるという以前に、ボクの中身に問題があるようだった。。。

2012年8月13日月曜日

エピソード9.1〜スカイプで喘いでくる〜

大学4年の冬、秋学期のテストも無事終え、あとは卒業式を迎えるのみとなったボクは、相変わらずその若くて貴重な人生を、取りうる選択肢の中で最も無駄と言えるかもしれない活動に費やしていた。たしかに自分は生まれつきトロくさくて頭も悪いが、そのことに更に拍車を掛けるような行為に打って出てしまったという訳だ。。。

それはズバリ、2ちゃんねるの大学生活板で固定ハンドルネームをつけ書き込みをするという行為である。オマケに面白い書き込みを考えて皆を楽しませるということならまだ救いはあったかもしれないが、ただひたすらにネガティブな発言を繰り返すという無為の極みがボクのしていたことなのだから、こんなことばかりしていた人間が会社生活で華々しく活躍出来る筈もなく、この文章を書いている現在ボクは非常に苦労しているのである。。

しかし、そんなネガティブレッサーにも共感を覚えてくれる人間がたま〜に出てきてくれる訳で、ボクが立てたスレッドに妙に共感し取り巻いてくれるようになった名無しがいた。しかも彼女は女性だった。。。そう、その女性こそ今回のヒロイン、Nなのだ!「ダイナマ(大学生活板の略語のこと)にすら居場所が無い大学生」といった内容のスレッドを立てると、彼女は自分の心の内をピタリと当ててくれたとばかりにボクに感心し固定を自らつけはじめスカイプ通話に応じてくれるまであった。。これはもう完全なる「ワンチャンあるで」状態である。。

はじめは何度かレスをくれたのでそれに対する当たり障りのないやりとりをし、スカイプのアカウントをNに教えるとコンタクト要求をしてくれたので承認をし、チャットからすんなりと通話まで行くことができた。女性と関わりがないときはこれからも関われる気配が微塵もないのに、今回は自転車で下り坂を気持ちよく走行しているときのような気分で上手くいってしまうのである。その、二つの状態の落差は凄まじく。今まで暗闇の中を彷徨っていた亡霊が、いきなり希望の光に包まれ光の天使にでも生まれ変わったかのような、そんな幸福な気分に包まれるのである。ただ、そんな気分を知ってしまったからこそ、この小太りアラサーキモヲタ系男子はいつまでたっても恋愛市場主義の幻惑に惑わされ続けるハメになっていた。。。

とにかくボクとNは、スカイプで通話を始めた。。。初めはよそよそしい自己紹介やら非リアトークを続けており、気の利いた台詞を言える頭をおよそ持ち合わせていないボクは「そろそろ飽きられたかなあ・・・」とビクビクしていた。

ところが突然、彼女に異変が起きた。。。声色に艶が出て始めたと思いきや、、

「ン、、アンッ、、、」

と、なんと喘ぎはじめたのである。。ボクはわけがわからず混乱してしまったが、その後もNの喘ぎはエスカレートし、「◯◯◯さん、エッチしよ・・・」だの、「中に入れてよ。。。」といったような卑猥な言葉を連発し出し、ボクもノってきて興しながらエロビデオでみた汁男優みたいな感じでしゃべりかけた。そんなイカレタやりとりは、夜中の11時頃から夜明けの7時過ぎまで行われていた気がする。。一通りそういった通話が終わるとNは急に冷静になり「興奮した?w」などと童貞を弄ぶような口調で問いかけ、そのまま二人とも寝た。そのやりとりを思い出し、ボクは何回もシコッてしまった・・・

Nとはまだその後も良好な関係を保つことが出来ており、夜明けまでのスカイプは何度も行われた。最も初回のような過激なことが行われたのは一回目だけであったが。

2012年7月28日土曜日

エピソード9~伊丹シリーズは好きだ~

ボクは、ほとんど映画をみないけれど伊丹十三の映画は結構好きだ。どうして好きかというとタイミングの問題が大きいと思う。たまたま子供の頃にみたスーパーの女という映画がリアリティあふれていたせいかやけに印象に残っており、大学に入学して新しい趣味として映画を見る習慣をつけることを心掛けたことがある(結局映画を覚えようという目論見も中折れしてしまったが、、、)そんな折、真っ先に手をつけたのが伊丹十三シリーズで、スーパーの女をはじめとしてマルサの女、ミンボーの女、日本初のラーメン映画ともいえそうなタンポポなど、いろいろみた。

伊丹十三作品は社会派というか、リアリティあふれる作品である。スーパーの女では、主人公側のダメだけれども地域に信頼されることを目指す良いスーパー「正直屋」と、広告の内容にウソを書くなど悪いスーパー「安売り大魔王」という二項対立が分かりやすく描かれており、主人公(名前忘れた)とその小学校時代の幼馴染みであるおばさん(名前忘れた)が正直屋を地域に信頼されるスーパーマーケットに育て上げライバル店である安売り大魔王に勝っていくというお話である。こういう愛の貧乏脱出大作戦テイストがぼくは好きなのかもしれない。。。


大学に入ってからこの映画を再度みて、新たに印象に残ったシーンがある。それは、店長?である主人公のおっさんと、幼馴染のおばさんが一度喧嘩をしてしまい離れた後で、結局女の方が戻ってきて再開するという割りとありがちなシーンである。そのシーンに置いて一通り感動的な場面が流れたあとで、店長のおっさんはおばさんにこう誘うのである。

「この後ホテルいこう」

そして、最初は拒否っていた女側であったが、結局最後はその誘いに応じホテルにいくのである。。。ホテルシーンでは二人とも可笑しくて笑ってしまったところで場面転換に入る。。

このときボクは、こう思った。「このシーンみたいな感じで女性をホテルに誘えば、ベッドインできるのでは?」あとで考えてみたら、こう誘える関係に持ち込むまでがハードルなのであるが、そんなことは気にも留めずいつかスーパーの女のこのシーンのように女性をホテルに誘ってみようと心に決めたのである。。

そんな思いを胸に秘めながらも、卒業間近となってしまったにも関わらず相変わらずNNTで、リアルではどこの卒業訓練校に通おうかなどとハローワークに相談にいったりパンフレットを見ていた矢先、大学生活板でボクに絡んでくれる女固定が現れた。正確にはまだ女固定ではなかったかもしれないが、妙に懐いてくれていたのだ。彼女の名前は、Nとしておこう。。。

2012年7月22日日曜日

エピソード8~奇跡の1日~

大学4年の冬、単位がギリギリだったボクは、卒業できるか否かの瀬戸際に立たされていた。といっても、卒業できなかったらどうしようかと悲観的に考えるよりも、もう1年大学に残り、たとえば司書の講座を取るだとか、ぼっち研の活動の本格的に行うのも面白そうだと考えていた。

それに、今まで書くことは無かったが、実を言うと来年度はネットでコンタクトを取り合っていた女性が我が椎央大学に入学するのである。彼女の名前はKとしておくが、学部板の椎央大学商学部スレ(いまでもそのスレッドは存続している・・・)で質問の書き込みをしており、ボクが紳士の回答をしていたため先輩として信頼されていたのかもしれなかった。そして、そんなKと一緒にひょんなことがきっかけでオープンキャンパスに参加したのが2009年夏のことである。推薦で入学が決定した後もブログを通してやりとりしたこともあり、Kとキャンパスライフを送れる可能性があるし、インターネットの人間としては1留ぐらいした方が箔がつきそうなので、留年した方がよさそうに思えた。

しかし、結局ボクはNNTのまま大学4年で卒業することを決意した。。。理由は二つある。一つは、もしも来年同じように就職活動をしたところでこの無気力無能タイプが内定を貰える可能性は極めて低く、それであるならば公共の職業訓練校で講習を受けたほうがまだ違うアプローチが出来ていいのかもしれないと考えたからだ。学費の問題もあるし、職業訓練校であれば年間10万程度の学費から、逆に支援金を貰えるところまである。。。2年ぐらいの職業訓練校もあるのでそういうところであれば二年はモラトリアム満喫出来るという訳だ。上手く行けば無職の女性と付き合えるかもしれないし。

もう一つは、親に言うのが怖かったからだ、実をいうとボクは、ここがほかの人間と比べかなり異常なところだと思っているのであるが、親と進路にせよ何か相談事をしたり、交渉をしたり、話し合いをしたことが生まれてから1度もない。というか対話をした経験がないのである。。。面接でも、「君は、親御さんと会話する?」と突っ込まれてしまったこともある。おそらく親子の会話がちゃんと出来ていないからコミュ障害になってしまったというのはかなりあるかと。何でこうなってしまったかと言えば、自分もコミュ障害だが親もコミュ障害だからだと思う。。。だから、何か変わったことをする際にそれを打ち明けられるほど信頼をしていなくて、結局留年したい旨など相談できなかったのである。


話が逸れてしまったが、とにかく卒業することに決めたボクは、大学4年の秋学期になっても少し残っている単位を取るために、講義をいくつか受けていた。。。

そんな講義を受けている最中、またもやこの下らない歩く生殖器は脳内である思いが駆け巡っていた。。。

「どうせ大学を卒業してしまうのだし、ここは最後に1発、講義で見掛けた女性をナンパしてみてはどうだろうか」

と、いうわけで、とある大学1年向けの講義をこの学年になって受講していたボクは、そこに出席し1人で講義を受けていた、ショートパンツやミニスカをよく履いてくるまだ十代にも見える女の子に狙いを定めたのだった・・・・・・結論からいうといつものパターンで付き合ったり連絡先を交換することなどできやしなかったが、声をかけることが出来た。

で、この後は手抜きと思われるかも知れないが、実は一部始終について、すでに2年半程前ブログに書いていたので、それをお読みいただきたい。これにて、このエピソードは完結である。。。



以下、gooブログよりコピペ(2段目が狙っていた女の子)
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さきほどの授業でものすごいことが起こりました!ものすごいことに直面して改めて自分のダメさを思い知りもしましたが^^;

 つまり先週、女の子からプリント借りた授業だったんです。ですから当然その子にプリント返しました。ただ返すだけではアレなので、プレゼントを渡しました!!!ももいろクローバーの「未来へススメ!」CDです。はい・・・それだけ。

 するとその次、見知らぬ女性(スイーツビッチ風)にプリントコピー頼まれたわけで、ぼくはそれに応じました。・・・それだけ。

 で、授業終了後、さらに先週、プリント借りようとしたけれども失敗した女の子がぼくに話しかけてくれたのです。「先週頼んでましたよね?写さなくて大丈夫ですか?^^」、と。。。しかし既にコピった後の祭り。。。もう大丈夫だと伝えると、逆に写させてほしい箇所があるとのことで、プリントをまた手渡すことに、、、(2番目の子は授業の途中で返してくれました)。。。

 つまり、大学生活史上初めてですよ!1つの教室で約90分の間に3人もの女の子と関係を持ったのは!!!!!!!!!

 それだけですorzこれは凄いことのように感じましたが冷静になると微妙ですね、ううう・・・・

 最後の女の子は通路はさみはしたものの、ぼくの隣に座ってくれた上なぜか帰るタイミングが一緒だったのでまさか声かけられたかったんじゃ、、などと一々考えるところがキモヲタ非リアぼっちだすね^^;;;;;

 結局何もしませんでした。明日提出のレポートあるので取り組み始めようと思ったらブログ書いたりメールチェックばかりして一向に始める気配ないですorzというか文章力なさすぎてしにたい、うぅ。。。

2012年7月21日土曜日

エピソード7〜シューカツくたばれデモ〜

2009年大学4年の秋だったろうか、ちょうど、ももいろクローバーに熱中していた時期である。秋葉原UDXで行われた9月シルバーウィークのAKIBA 5DAYSでは、千秋楽で感動し号泣してしまうほどの熱中ぶりだった。アイドル関係で泣いたのはこの時のももクロと2012年3月25日のさくら学院卒業式ぐらいなものである。あのときは会場のお客さん半分以上が泣いていたという、自分の中でも印象に残っているライブの一つだった。。おまけに予定調和でない予想外のアンコールが会場から沸き起こりメンバーも感動したのかみんな号泣しだし、そのアンコールは何とか受理されるといった伝説のライブだった。。今では逆に誰もアンコールしないのにアンコールが始まる某グループもあるというのに、ボクにとってのももクロはこのころが1番楽しかった。

そんな折、ネットで面白いニュースが流れ興奮した。北海道で北大生中心に執り行われた、「就活くたばれデモ」である。ウマの着ぐるみをきたメンバーが棒に内定と書かれた人参をぶらさげて現代のシューカツ事情を皮肉るなど、中々ユーモアセンス溢れる試みをやっているなと思った。元々ユーモアとは、周縁の世界に住む人間が権力者を皮肉ることで下らない人生を面白く生きようというために使うものだとボクは信じており、そういうユーモアセンスの使い方にグッとキタのだ。未だ無い内定で正社員になる気もなかった(なれる気が微塵もしなかった)シューカツ諦観層であったため、本当にシューカツシステムに不満がありアピールしたいことがあるという訳では無かったが、面白そうなので東京でも起こらないかなあと期待していた。。

しかし、指を加えて待っていても流れてしまいそうだった。何と、このタイミングで、普段は無気力で自分から能動的に動くことはないこの冴えない男にどこからともなく溢れ出さんばかりのエネルギーが宿った!働くとか生きていくとか、そういった事柄については全く持ってやる気が湧かないが、今回はやる気マックスだった。。。といってもボクがそこで何をしたかと言えば、大したことはしていない。ヤッタコトは二つだけ。二つ目は追い追い書くことにするが、一つ目は簡単なことである。。2ちゃんねるの大学生活板に「シューカツくたばれデモを関東でもやろう!!」といったスレッドを名無しで立てて、ひたすら皆を鼓舞するような自演を繰り返しただけである。東○ハイスクールの宣伝にありそうな「じゃあいつやるか?今でしょ!!」的な書き込みをひたすらしただけである。

すると、意図どうり本当にやる気になった住人が何人か現れ、ウェブ上で作戦会議をし始めた。。こうなったらもうポンコツのボクがやることはほぼ無くて、せいぜい該当スレッドを保守することで活動を支援するぐらいだった。。勿論、誰でも予想できる「そんなことしてる暇があったら就職活動しろよ!」だとか、「文句だけ言っても何も変わらないよ!?」的説教厨決まり文句に襲われることもよくあったが、そのあたりはスルーすればはっきりいって問題無かった。。。

そうこうしているうちにデモの日程が決まり、たしか2010年1月のどこかだった気がする。ボクも名無しで一応、参加するポーズをとっていた気がする。なぜならば、そうした方が参加者が集まり易いからだ。無論本当に参加する気はなく、ネットニュースになったところを見て酒の肴になればぐらいな気持ちであったが。。デモ近くになって、誰かが宣伝用のポスターを作ってアップロードしてくれた。ここだけの話あまりセンスは無かった、、、とにかくそこで先ほど書いた二つ目のやることを実行した。単純に、印刷屋さん行きそのポスターを100部?ぐらい印刷し、各大学に貼ることにしたのだ!しかし、ここで無気力無能中折れ気質のボクは中途半端なことに二つの大学にしか貼らなかった。一校目は母校である椎央大学である。もう一校は、数少ない友人の1人が所属する地元の神○川大学だった。その友達に久しぶりに会うきっかけを作りたかったというのもあるが。。。

母校では黙々とひとりで貼って行ったが、翌日チェックすると全てはがされており仕事の速さに感心した。。

もう一校では某友人に同伴してもらい貼った。そういうことを晒しても大丈夫ぐらいに仲の深い友人も実はいるのである。。お互い社交的ではないので半年に一回ぐらしか顔を合わさないが。。その大学で作業中。軽くショックなことが起こった。。友人が、所属する部活の小柄で清楚な感じの可愛いメガネかけた後輩から挨拶されていたのである。。大学でそもそも何のコミュニティにも所属していないボクは女の後輩から挨拶されるといったイベントに出くわした経験などなく、途端に寂しさが込み上げてき泣きそうになってしまった。。とにかくそこではポスター貼りが終了したので彼と少し雑談したあと帰宅した。

そして当日、ボクは当然の如くバックれた。。無事に最後までシューカツくたばれデモは執り行われ、ネットニュースでも取り上げられた。自分はスレを立ててポスター貼っただけだが妙な達成感を覚え、ダイナマ民であることを誇らしく感じた。ユーモアセンスという意味では弱かったかもしれないがもはやそこは気にしなくても良かった。。

が、ネットニュースに掲載された画像をみると一つ気になるのがあった。そこにお姫様系の可愛い女性の姿があったのだ!!!はっきりいって、やっぱり参加すれば良かったと後悔した。。。

その後ダイナマ発のシューカツくたばれデモプロジェクトが継続することは無かったが別のコミュニティから有志たちがたちあがった。ちなみにその代表者は、ボクがポスターを貼りにいった神○川大学の学生だった。。彼はテレビでもよく見かけるぐらいに頑張って活動していた。ご存知の方もいるかもしれないが、彼の名前は本間くんである。もしかしたら、、ボクが貼ったポスターを見てやる気が起こったのかもしれないとおもうと。本間くんはワシが育てた状態である。。

とにかく冴えない大学4年間だったが、やったぞと思えた経験をした今回の取り組みだった。。。

2012年7月16日月曜日

エピソード6.1〜秘密の仙台オフ〜

Hとのオフ計画に失敗したボクは3日目、八戸から仙台へ向かった。仙台では、事前にオフ会の告知をしており、2名から参加表明が上がっていた。オフ会をやる目的はやはり、女性との出会いであったが今までオフに女性が参加しにきてくれたことは殆どなく今回バックれずに集まってきてくれた二人も男だった。

1人はスーツ姿で細身な素朴な感じの青年だった。もう1人は自分と同じぐらい、つまり身長160台前半で丸っこい体型をしていた。事前にメールで名乗っていたとおり、顔がニャンちゅうに似ていた。ニャンちゅう似の彼は、自然にオフの輪に入ってき、凄くそういったことに慣れてる風だった。

二人とも、地方都市の素朴な青年といったところで、都会的なファッションを見にまといガツガツした嫌らしさがなく、かといってキモヲタ・ぼっちといったオドオドしていたり気持ち悪い素振りを見せることもなかった。何というか、自然な人間たちに出会えた気がした。こういう人たちとならボクも仲良く出来そうに思えた。

特にお店は決まっていなかったので、二人に仙台オススメのお店を案内してもらう事にした。道中、白い髭を生やしたホームレスがベンチに腰掛けていた。東京であればよく見掛ける光景なので別段気にも止めなかったが、スーツを着た青年が「彼は仙台の主なんだよ。ゴミを捨てると注意してくるんだ」と説明してくれた。たしかに他にホームレスらしき姿は見えず、仙台の街では有名なのかもしれなかった。

お店に入っていろいろと話をしたが、どうやら二人とも自分と同い年の大学4年で、NNTの自分と違い進路は決まっているようだった。スーツ青年は警官になるらしく、ニャンちゅうは金融関係に進むとのことだった。

また、オフに参加するとよく、「実は大学生活板のこと殆ど知らないんです〜〜」という輩も出てくるが二人はそうではなかった。昔からダイナマを見るだけでなくスレもよく立てて来たようで、最近の固定は踊らないからつまらない、と愚痴をこぼしてもいた。

その後は自分がそういう話しかしないせいでもあるが、やけにナンパの話ばかりしていた気がする。特にニャンちゅうは経験豊富らしく、最初に声をかけるときどうするかや、新宿でナンパしたら華麗スルーされた話などを披露していた。スーツ青年も、居酒屋の店員にアドレス書いた紙を渡したら返事が来たことあると言っていた。他の二人がどう思っているかは分からないが、自分は居心地のいいオフ会だと思った。。ニャンちゅうは、こんなことも言っていた。「自分は都会の雰囲気にどうしても馴染めない」と。人当たりが良さそうな彼だったが、心に深い闇を抱えていそうだった。1年後、その闇は爆発してしまった訳だが。。。

解散後、ボクは仙台のカプセルホテルで泊まることにしたが、どうにもムラムラが収まらなかった。。そこで1万円を握りしめ、仙台の風俗店へいくことにした。フラフラと夜の仙台を半袖半ズボンで歩きながら、居心地はとてもよく感じた。どの店にしようか迷ったが、客引きが若くチャラ男風のお店へ入るのは怖く感じたので、小汚い爺さんが客引きをしている店に入った。その店は最悪だった。カタコトの全く可愛くない東南アジア系の女性が接客してくれた訳だが、射精どころか勃起すらせず30分を終えてしまった。若いチャラ男の店に行けば良かったと後悔しつつ、カプセルホテルに戻り寝た。

翌日はもう帰るのみだった。関東に近づくに連れ寂しい気分になった。。途中大宮で下車したがやることないのですぐ改札に戻り帰宅した。

こんな東北への旅が終わった1年と少し後だろうか。大学生活板で事件が起こった。ドラさんのUstream自殺配信である。ボクは該当スレを見ていなかったのであるが、後で調べると合点がいった。金融機関に就職、ナンパ大好き、ダイナマ民、ニャンちゅうと名乗る、、自殺したドラさんとは、間違いなくボクが仙台オフで出会った彼だったのだ。社会という車輪の下に飲み込まれてしまったのだろうか。仲間意識を感じることも出来た彼は死んでしまったのだ。。。

素朴風で都会のキャンパスで見かけないタイプの彼だったが、もっと承認してくれる場所もあったのではないだろうか。何とも後味の悪い結末であるが、自分も同じ道を辿るのか別なルートを開拓できるかははっきり言って分からない。ただ、このブログはかなり切羽詰まったボクがくだらない人生の総集編として書いているものだ。これを完結させるまではまだ生きることに決めている。。。

2012年7月15日日曜日

エピソード6〜東北への旅〜

式根島で1人旅デビューしたボクは、その後、神津島という離島にも旅をした。神津島では特筆すべきエピソードはないので触れないが、第三弾として大学4年の夏休みである9月の第一周目平日にて東北への3泊4日の旅が執り行われた。

いろいろとスケジュールを組んだ今回の旅も結局のところ目的は、地方の純朴な少女との出会い、なのだからそんな無いものを求める自分の愚かさを後から振り返ると下らなくて仕方がなく感じる。。この悶々としたエネルギーを他のことに昇華させることは出来やしないのかと。。。

とにかく一日目は、岩手の盛岡をほっつき歩きながら宿泊した。ここではこれといって書くことが無かったように思う。強いていうなら駅前にナンパ待ちに見える20代中盤らしい女性が広場の椅子に一人で腰掛けており、話しかけようか迷ったがけっきょく話し掛けられなかったぐらいか。

ただ、盛岡駅に到着する直前の電車内で何とも初々しく心が洗われる出来事に立ち会えたことを記憶している。それは、5〜6人の制服を着た中学生か高校生ぐらいの少女たちと(平日なので、彼女たちは学校帰りの可能性が高い。そういう日常を覗き見るのが今回の旅の目的でもあった)、私服を着た彼女たちと知り合いらしい1人の少女が出くわしたのだ。そこで制服を着たメンバーのうちの1人がからかうように私服ちゃんにこう話しかけた。

「あれ〜今から彼氏に会いにいくの〜!?w」

、と。そして私服ちゃんは照れるように何か言葉を返していた。このような少女たちの日常のヒトコマに立ち会えたボクは、とても幸せな気分になった。初々しくていいなと和んだ。

そんな光景を回想しながらカプセルホテルに泊まり二日目、盛岡駅を出発しボクは第三セクターと呼ばれるサービス群にはいる、民間と公共を掛け合わせた鉄道を利用した。JRでないため青春18切符を利用できない電車にわざわざ乗った理由は、とあるラーメンを求めていたからである。ボクが高校生ぐらいの頃だった。新横浜ラーメン博物館で一番のお気に入りだった岩手県久慈市の「千草」というお店である。あっさり淡麗タイプの鶏ベースのスープとモチモチと弾力のあるちぢれ麺の組み合わせが好きで、こういう淡麗ラーメンが現在のボクの嗜好を作り上げているのかもしれなかった。

ラーメンを楽しんだ後は、八戸駅に到着した。ここでボクは2ちゃんねるの大学生活板を開き、某スレに書き込みをした。

「髪◯ちゃん、今、青森の八戸にいますが、オフどうでしょうか?」

彼女はHと呼ぶことにするが、青森在住ということを聴いていたので、八戸まで着てオフを懇願すれば、熱意が伝わり来てくれるのでは?と期待に胸を膨らませていた。。しかし、いくら書いても全くHからの反応はなく、結局オフは出来なかった。。。

ディナーは、八戸せんべい汁だった。B球グルメとして有名になる前だったが、汁の中に入りふにゃふにゃになった南部せんべいは美味しかった。

こうしてボクは、八戸駅の東横インで1人寂しく夜を迎えたのである。。。

2012年7月8日日曜日

エピソード5〜美容室に半年通う〜

実はこのエピソードを披露するよりも遥か前、美容室に挑戦したことは一度あったのだ。それは確か大学一年の夏休みで、まだ好きだった高校の部活の後輩Aと繋がりがあり、某個別指導塾のアルバイトでそれなりに充実していた時代だった。そのときは、一度通ったときに疲れて感じもう行かなくなってしまった。女性店員がカット中絶え間なく話しかけてくるからである。これにはボクもウンザリしてしまった。せっかく話掛けてくれているのだから無視をするのは失礼だし、少しでも会話を弾ませなければと気を遣いっぱなしだった。たしかに髪はオシャレになり、眉毛もキリッと整えてくれた。しかし気遣いが凄く疲れてしまい、もう行きたくなくなってしまったのだ。。。その後は1000円カットや床屋さんで済ませる日々を送っていた。

しかし大学3年の秋だったか。またもや気が変わり、やはり髪型をカッコ良くしなければモテないだろうと、急に決心をした。。ボクは気がコロコロ変わりやすいのである。それと同時にある約束も自身と交わした。それは、こういう内容である。「とにかくどんなに店員と会話が嫌でも、最低半年は通おう。半年たってもダメだったら通うの辞めればいいんだ」という訳で半年通うことにした。

ボクがチョイスしたお店は、女性客がほとんどで、男性スタッフがほぼいないところだった。何故かといえば、特に男性の美容師は怖くてたまらなかったからだ。「あんなチャラチャラした雰囲気の男性美容師たちは、きっと自分のようなキモヲタが来店したら、見下しながら馬鹿にした態度で接客するに違いない」と思い込み、男性スタッフだけは何が何でも避けたかったのだ。。だから、女性店員比率が高いお店をチョイスした。

勇気を出してそのお店に入ろうとしたが、足が竦んで中々入れなかった。やはり天下の美容室ともなると緊張してしまった。しばらく店の周りのスーパーやら本屋をウロウロしつつ、行くぞ行くぞと自分に喝を入れながらようやく来店まで漕ぎ着けることが出来た。来店まで一時間以上掛かったかもしれない。美容室入るだけでまるでアドレス作戦の時並に勇気を振り絞らなければならないとは、我ながら小心者で情けない。。。

お店に入ると、まずは受け付けてカットしたい旨を伝え、待合室で暫く待つことにした。受け付けの女性は結構可愛いかったが、ボクを小馬鹿にしているようにも思えた。しばらくするとボクの髪をカットする役目を背負わされた女性店員が現れた。20代後半らしく、髪はやはり染めてオシャレ風だったが落ち着いていてキモヲタを馬鹿にする怖さはなかった。その女性店員は、Wさんという名前だった。

始めはWさんからアンケートを受けたが、そこで困ったことが、起こった。どんな髪型にしたいかという質問を投げ掛けてきたのである。これは返答に窮する質問だった。はっきりいって自分に、したい髪型などまるで無かったのである。リア充雑誌の髪形写真が一覧になって並んでる本を見ても、「イケメンリア充うぜー」という感想しか湧いて来ず、こうなりたいという髪型ビジョンが掴めないボクには過酷な質問だった。

その後何て答えたかは忘れた。おそらく、自然に、とか、今風、とか、大学生らしく、といった曖昧でどうとでもとれる答えを返したのだと思う。そうして遂にカットが始まった。Wさんは大学一年のときに経験したよりもそんなに話しかけて来ることはせず、気を遣って疲れることは無かった。それどころか、ちょっとした喜びを提供してくれた。Wさんのおっぱいが、ボクの後頭部に当たっているのである。。。童貞のボクを釣ってカモにする作戦なのかも知れなかったが、それでもボクは興奮して股間が熱くなるのを感じた。その後はボーッとしながらもカットが終了し、イケメン風かよく分からないがワックスをつけてツンツンした髪型になっていた。

その日の夜は妙な興奮を覚え、髪型でモテるなどといった当初の目的をすっかり忘れ、Wさんの胸の感触を思い出しながら、オナニーをした。。それからボクはWさん目当てで8ヶ月ぐらい通ったように覚えているが、結局普通の床屋に戻した。理由は、目的のWさんが美容室を退職することとなってしまったからである。話を聴くかぎりリストラっぽかった。たしかに可愛いくて胸を当てて来るが、美容師としてのテクはあまりないのかも知れなかった。そして通い続けてもボクのリアルで何か変化の起きる兆しが皆無だったので、美容室に通ったところでモテには意味ないと感じだし、入店までハードル高く感じ緊張してしまうような場所にわざわざいくことないなと、床屋に戻したのだ。

Wさんが退職するタイミングでお店を出ようとすると、いつもと違い外まで迎えに来てくれ、お別れの挨拶をしてくれた。ボクも、「今までありがとうございました」的なお礼を投げ掛けた。そのあとに何か気の利いた言葉でも言えればよかったのだが、言えなかった。。またしても何も思いつかなかった。メアド交換も一瞬脳内をよぎったが実行には移せず、そっけなく見えるだろう態度でその場を後にした。

Wさんは可愛いし落ち着いていて、美容師なのに(なんとなくチャライイメージがあるのだ)キモヲタを馬鹿にしないいい女性だと思った(という妄想なのかもしれないが)。その後も連絡取り合って会いたかったが、それを実現するための行動をいっさい取れないボクの不甲斐なさに、悔しくてないた。。。

しかし一個だけ、褒められる内容がある。それは、「最低半年は何がなんでも通う」という自身と交わした約束を守ることが出来た点である。大したことではないかもしれないが、大事なことを達成したように思えた。





2012年6月22日金曜日

エピソード4〜メモ帳とペンinポッケ〜

某家電量販店内の3Fだか4Fだかに店舗を構えていた、古本屋があった。。ボクはそこで、なかいま強という漫画家の「うっちゃれ五所瓦」なる相撲漫画を楽しみに読んでいた。

なかいま強は、中学野球部時代に「わたるがぴゅん」という野球漫画が流行っていた影響でボクも嵌り知った名前である。ドカベンなど定番どころへは全く関心を示さなかったがこの「わたるがぴゅん」だけは好きな野球漫画だった。作者の温かみのある人柄がダイレクトに反映されており、心地よく面白いのであったからだ。

他に、この古本屋で初めてネットで話題のウシジマくんを読み、衝撃を受けたこともある。

しかし、この古本屋でのボクの楽しみは、なかいま強の「うっちゃれ五所瓦」だけでは無かった。。。少女漫画も多数取り揃えてあったそこでは、ヲタ系な見た目の女子たちがいつもいたのである。そして、大学3年の秋〜冬だっか。丁度シューカツ戦線スタートの時期に、シューカツよりも別の事柄に関心が高まっていた。

・・・ナンパである。自己啓発本を読んだり2ちゃんねるで説教厨から説教を受けていたボクは、自分から積極的に道を開かなければならない的定番の強迫観念にとらわれていた。。そして開こうとしていた道は、モテ男の道であり(何故か生きるとかお金を稼ぐとか社会的問題には全く関心がなかった。今もだが。。。)、そのための手段としてナンパを思いついた。というか、普通にバイトやサークルで彼女を見つけるというのは、できそうもなかった。

それにその頃、ちょうど「準ひきこ森」という新書にはまっており、まあ準ひきこもりはいまでいう真面目系クズみたいなものであった訳だが、その状態を脱する方法としてナンパセラピーなるものが紹介されてもいたのだから、導かれるようにナンパをやろうという気分が増長していった。そういえばUstreamで自殺配信をしたドラという男も、仙台のナンパ師だったらしい(実はドラとオフ会で会ったことがあるのだが、その話は後のエピソードにて書こうと思う)。

ただナンパをするには問題点がありすぎた。というかナンパだけでなく人生何をするでも問題点だらけな訳だが。。。まず女性を惹きつける魅力的なトークテクニックがないどころか、そもそも日常会話を成立させることすら困難なコミュ力。決してイケメンではなく犯罪を犯しそうな不気味な顔。低身長。たるんだ身体。ちょうど美容室へ通っていたのにダサくなってしまう髪型。。。はっきりいって勝機は、無かった!

それでもボクは、挑戦をしようと決意した、この困難を乗り越え、可愛い女性に承認されるしか、自分に残された道はないぞと。大学2年の冬に突然音信普通になったあの大好きだった後輩を忘れ去り、あたらしい人生を開くにはナンパしかないんだと、そういう心持ちでもって、とにかく決行することにした。

場所は、「うっちゃれ五所瓦」の置いてあった古本屋だった。その時のターゲットは、20代中盤に見える、ミニスカートを履いた清楚風の女性だった。はっきりいってこの女性でなければダメという理由など一切無かった。たまたまその場に居合わせたというだけである。ボクはその女性の後を付け、お店を出たところで「す、すいまふぇん・・・」と何とも情けない声で声掛けした。そして、女性が振り向くとメアドが書かれたメモ帳を手渡した。この時点で激しく緊張し一刻も早くその場を逃げ出したくなったボクは、何も会話などせず足早に姿を消してしまった。世界一情けないナンパかもしれなかった。しかしそれでも、勝ち誇った気分で一杯だった。自分から女性に声を掛け、アドレス書いた紙を手渡したぞ!と大声で叫びたくなった。それが出来た時点でボクは勝利を確信したのだ。当然、メアドに返事は来なかった。。。

その後別の日に、2回ボクは同じアドレスを書いたメモ帳作戦を実行したが、それっきりだった。なぜかというと、最後のナンパ作戦実行時にターゲットとしていた女性のボクを見る目は完全に怯えていたからだ。この怯えた目を持って完全理解した。「あぁ、これは只の不審者じゃないか」と。自分のやっていることは、不審者の不審な行為そのものだったのだ!!そして声を掛けられた女性は、下手をすればトラウマになるのかもしれなかった。自分は悪いことをしたなと反省し、それ以降、ナンパは辞めた。。。もうエロゲにでも目覚めて2次元の世界にのめり込むしか無いのかも知れないと思い、Fate stay/nightをPCにインストールしのめり込んだ。セイバールートでイリヤが士郎に跨るシーンに、妙に興奮した。シューカツは、説明会に出て筆記試験を受け面接を受け満足し、やったつもりになっていた。。。女性に承認されないこの満身創痍の状態で、シューカツなど頑張れる筈もなかった。。。

2012年6月16日土曜日

エピソード3.1〜まさかの民宿ぼっち〜

雅湯から一度引き返したところで、ボクは重大なミスに気がついた。。どこの宿屋を訪ねても、満席なのである。東横インやカプセルホテルのないような地域で一泊しようと思えば、予約をしなければならないということをこの時に学んだ。これは見る人が見れば当たり前なのかも知れないが、世間知らずのボクからすればこんな些細な事でもとても大きな経験値を積んだように感じた(ほんの些細なことでも大きな仕事をしたと感じるのは準ひきこもりにありがちなことらしい)。。

困ったボクは(実はこの野宿をしなければいけないかも知れない窮地?にワクワクもしていた)、始まりの港に戻り、式根島観光協会の建物で予約の空いた宿屋をスタッフの方に探して頂くことにした。松屋よりも小さな建物のドアを開きボクを出迎えてくれたのは、一度見覚えのある顔だった。。そう!ジェット船で見かけた、若い女性だったのだ!!!顔付きは島の人の顔とでも言えばいいのか、都会的では無かったが、それでもボクには十分魅力的だった。。とにかくまずは泊まる宿がないことを伝え、その子に探していただくこととした。しばらくすると、どうやら泊めてくれる宿が見つかったようで、こちらまで迎えに来てくれるとのことだった。そしてそれまでの時間、ずっと無言でじっとしているのも悪いので、ボクは勇気を出して話かけることを決意した。。。

「島の中央に学校がありましたね。生徒はどれくらいいるのですか?」といったつまらない質問を何とか頭から捻り出し、コミュニケーションを試みた。。すると、「生徒よりも先生の方が多いんですよw」と、割りと嫌ってはいない反応だった。しかしボクはここで次の言葉が思いつかず、そうなんですか的リアクションしか出来なかった。心の中で「またせっかく切り出した会話を終わらせてしまった。なんてコミュ力が低いんだ。こんなんだから握手会でも気まずくなっておっきゃんやおがまなを困らせてしまうんだ・・・」と絶望しかけたその時、、、彼女の口から意外な一言が発せられた。「ジェット船に載ってましたよね?」

彼女はボクが同じジェット船に載っていたことを覚えており、そのことをアピールしてきたのである。これは完全にフラグが立ったと、その時確信した。。。その後も何か話した気がするがあまり憶えておらず、民宿から迎えの車が来た。。元気ハツラツとした中年女性といった感じで、会話を交わしながらもボクの微妙な受け応えに対し、「何だか歯切れの悪いお兄ちゃんだねぇ〜」と愛情の籠った口調で返してくれた。こういう風な反応をされると、コミュ障ぼっちは気を使われるより案外楽になるのであり、良い宿屋に当たったなと安堵した。民宿についたあと荷物を割り当てられた部屋に置き、また少し島内を散策した後は民宿での夕食が待っていた。が、この食事が落とし穴だったのである。

先客はボクの他に二組おり、二組とも熟年の釣り人夫婦だった。そう、この島は釣り目的で来る客が多いのであった。しかも、同じテーブルでの食事である。二組夫婦はお互いに、釣りの話で大盛り上がりだった。そのうち奥の方にいたダンディな声をした白ヒゲの旦那と、もう一組の奥さんがよく喋っていた。ダンディな白ヒゲの旦那は、「この島のブダイ釣りの名人と会って来た」などと話していた。「ブダイ釣りの名人」というフレーズがそのダンディな声と共にいまでも尚、ボクの脳裏に焼き付いており、たまにその声がフラッシュバックするのである。一方のよく喋る奥さんはたまにボクにも話を振ってくれたが、どれも一言で会話は終了してしまった。民宿の夕食で、ボクはボッチとして孤立してしまったのである。。。早々に食事を切り上げ、昼のレストランにいたチラ見少女のことを思い出しながら寝た。当時ウィルコムだった携帯端末は完全に圏外で、通信不可能なため2ちゃんも出来ず寝るしかやることがなかった。でもこんな夜も新鮮で良いのかも知れなかった。

翌朝、ボッチな朝食を切り抜け宿泊料金を支払うと、この民宿を後にしまた外をプラプラした。出航の時間が近づくに連れ、ボクはあることをしようと画策した。それは、メモ帳に携帯電話のEメールアドレスを書いて、あの観光協会の女の子に渡そうという目論見だった。最初港に戻ると彼女は1人で小屋の中にいた。ここで、昨日のお礼を伝えついでにメアドを渡そう!、、、としたが勇気が出ず一向に足が動かなかった。。。しばらくすると、その小屋に一台の車が停まり、彼女の母親らしき人物が彼女と談笑し始めた。母親らしき人物がいる間は無理なので、いなくなってから再チャレンジしようと待っていたら、気付いたら本人がいなくなっており、車もなくなっていた。彼女は別の場所へ移動してしまったようで、結局メールアドレスの記載されたメモ帳は渡されることなく、ぼくはジェット船に搭乗したのだった。船内では、悔しくて泣きそうになった。。。こうして、この非リアボッチメンの、初めての1人旅は幕を閉じた。一泊二日ではあったが濃い二日間だったように感じた。

いま振り返ってみると、女性と交際するのに1番重要なファクターは何か?それは、コミュ力が高く面白い話が出来たり、イケメンで身長が高くお洒落だったり、そういったファッション雑誌や2ちゃんねるに書かれていそうなことよりもまず、自分から話かけることの出来る勇気なのかもしれないと思った(そもそも話掛けるぐらいで勇気を使わなきゃいけない時点で彼女は諦めろと言われるかもしれないが、この男、つまりブログ筆者であるボクは、滑稽なことに諦めことがどうしても出来ないのである。。女にモテナイのに女にモテることを至上の価値と感じてしまっているとは、唖々、誠に悲劇だ!)。




2012年6月5日火曜日

エピソード3〜離島症候群〜

大学3年の夏休み、アニメに疎いボクもハルヒに興味を持ち出し、過去のアニメをみたり、ラノベを読み始めた。見始めると大抵嵌るのだが、そこに辿り着くまでのエネルギーがないということが多い。ハルヒは何とか行きつけたパターンである。そんな涼宮ハルヒの憂鬱の話の中に、孤島症候群というエピソードがあり、影響を受けたボクは絶海の孤島に対する憧れを密かに抱き始めていた。また、1人旅を大学時代にしたいという思いもあり、ちょうど大学3年の11月初旬だったか。我が椎央大学の大学祭時期(非リアぼっちにとってこの時期は当然、第二のゴールデンウイークなのである)を利用して、一泊二日で伊豆諸島、式根島へ向かうことを決意したのである。。。

式根島へ向かうにあたり、ボクはもう一つの野望を胸に秘めていた。。それは、離島の純朴な女性と仲良くなるという野望である。。。いや具体的プランなど更々ない。しかしどこからか湧き出てくる期待感があった。自分なら行けるという根拠のない自信だ。。帰り道に新百合ケ丘や町田を寄り道してフラフラするのも、若い可愛い女性との偶然の出会いを求めていた部分があった。当然、出会えたことは、ない。

竹芝桟橋からジェット船に乗り、3時間程度の船旅を楽しんだボク。船には釣り人と思しき豪傑といった感じの見た目を多く見かけた。町田や新百合ケ丘を散策しているときの雰囲気とは偉い違いで、東海汽船の乗組員も強そうだった。ちょうど、初代ポケットモンスターの船乗りみたいだった。大島やその後の島でも何人か降りると、船内は大分少なく広々としていた。残っていたのは豪傑か老人といったメンツだった。しかし!そんな中、1人で外の景色を眺めている、ボクと年齢の近そうな女性の姿もあった。見なりは垢抜けなく純朴という言葉を当てはめられそうで、顔は判別出来なかったがスタイルはそこそこだった。身長は160台前半で細身だった。ボクは彼女のことが気になり始めた。。。一体、1人でどうして船になんて乗ってわざわざ離島に行くのだろう。。。と、、、そんな謎は、式根島に到着してから解決した。。。まず、彼女も式根島で下船したとだけいっておこう。

島についてから、島内を1人でブラつくことにした。実をいうと民宿の予約は一切せず、当日で大丈夫だろうと浅い読みで一人旅に臨んだのである。島は静かで人が殆どいなかった。そして街並みはテレビでみた昭和の世界みたいだった。横浜市で生まれ育ったボクからすると、別次元に降り立ったような気分だったが、そんな気分に浸れるのも離島旅に期待していたことの一つだったから、狙い通りではあったのだ。港から道なりに進んでいくと、左手に学校が見えたが誰もいなかった。更に進むとまた海岸通りのようなところに辿り着いた。1〜2キロしか歩かなかったが、結構狭い島で、水道水はお隣の新島からパイプを通して調達しているらしい。

海岸近くの通りに、比較的ナウそうなレストランがあったので、お腹も空いたことだしそこでちょっと遅めの昼食を取ることにした。店内は静かで、ボク以外に二組ほど先客がいた。一組は熟年夫婦といったところで、もう一組は中高生ぐらいの年齢に見える女の子と、その母親だった。自分は後者が座っている隣の席に座った。都会のチェーンと違い大きな声を出して入店したことを店員にアピールしないと一向に注文出来なそうだったので、入店する前に大きな声で「ごめんくださーい!!」と叫んだ。松屋やラーメン屋でこんなこと絶対にしないのに、つくづく環境は人を帰るんだなとしみじみした。式根島にいる間は声が大きくなり、コミュ力が2割ぐらい上昇したように感じた。シェフは厨房にいて姿が見えなかったが、注文係りはその息子のようだった。18〜21ぐらいの男児で、垢抜けなかった。しかし体格はガッチリしており、顔もそこそこイケメンだったので上京すればすぐさまリア充としてキャンパスを跋扈する姿が容易に浮かんだ。頼むから上京せず、この素敵なレストランの後継者として島を守ってくれとボクは願った。。。さて、そんな彼に料理を注文し、十数分後に魚介類がふんだんに入ったドリアだかグラタンだかラザニアだったか忘れたがそれ系の料理が運ばれてきた。味はそれ系の味だったが、大きいホタテがたくさん入っており食べ応え抜群だった。料理の満足度は高くまた足を運びたいと思った。そんな孤独なグルメを楽しんでいる最中、隣席の中学生か高校生ぐらいの垢抜けないメガネかけた女の子は、しきりにこちらを横目でチラチラ見ていた。それもかなり高速なチラ見だった。今までの人生でされた(とボクが気づいた)チラ見の中では最高速度だったかもしれない。気づかれないようにしていたつもりだったのだろうか。。会話を聞く限り彼女とその母親はお隣の新島から何かの用事で式根に来た地元民らしかった。おそらく、余所者が気になってしょうがなかったのだろうが、ボクに気があるのではという妄想も膨らまずにはいられなかった。。。彼女とその母親は先にお会計を済ませ店を出ていった。どうやら近くの新島に戻るらしかったのだ。お会計のさい、リア充の素質を感じる男児とその女の子が顔見知り風の会話をかわしていた。女の子の声はやけに艶っぽく、母親と会話していた時とは違いキャンキャンしていた。完全にメスの声だった。もしかしたらリア充予備軍男児に恋をしているのかもしれなかった。

そんなこんなでボクも食事を済ませさらに奥へ進むと、天然温泉があった。木製の看板が湯の中に立っており、そこには「雅湯」と書かれていた。ハロプロに興味持ったことのあるものであればきっと、ベリーズ工房の夏焼雅を連想することだろう。この看板を記念に、シャッターに収めた。ここで気づいたのは、もしかしたら式根島は温泉が名物スポットなのかもしれないということだった。ノープランで島に来たボクは一切の入浴グッズを所持しておらず、ズボンを捲ってひざ下だけ入浴した。そこには、地元民と思われる老人が数名と、観光しに来たであろう女子大生風の三人組が水着を着用して入浴したり備え付けのシャワーを浴びたりしていた。これは絶好のアタックチャンスと目が光ったが、光るだけで声かけは出来なかった。自身のヘタレぷりに落胆しつつも、一旦引き返しそろそろ泊まる宿探しに移ろうとした。


2012年6月2日土曜日

エピソード2.2〜浴衣さんや緑ジャージ〜

2008年7月の中旬だか下旬だかに、北千住花火オフというのがあったので参加を表明した。荒川?の河川敷で花火大会があるらしいのだ。。そこに負のオーラ漂うダイナマ民が集うというのである。そしてそのオフの参加者にJもいた。

ボク以外にもJの取り巻き枠で横国というあだ名の参加者も来ていた。彼は横浜国立大学理系の院生で、小川ゆうじとも呼ばれていたが恐らく本名ではないだろう。彼のことはおがゆうと呼ぶことにする。おがゆうは理系の非リアといった感じの男性で頭良さそうだった。Jを取り合うライバル関係という構図が出来上がる訳だが、何故かボクには一切の危機感がなかった(この数ヶ月後にJとおがゆうは正式に交際を開始しJによるノロケ話を散々スレ上で見せつけられるようになる訳だが)。。

他にも10人ぐらい集まっていたが、何とか書生という東大離散生の幹事以外、名無しはみんなイケメンオシャレで自分の想像する住民のイメージとはかけ離れていたように思える(いわゆる緑ジャージと呼ばれる名無しもいた気がする)。彼らが裏で女固定や女名無しと連絡を取りまくってヤリまくっていることは容易に想像できた。これぞ恋愛格差社会ダ!!そしてその輪の中にはとても入れそうに無かった。良く見ると、浴衣を着た可愛い女名無しも中に混じっていた。彼女が噂の浴衣さんである。ボクはオフ中彼女が気になって仕方なかった。Jが隣にいるのにである。身長は165センチぐらいだったかな。

河川敷に移動後は、シートをひいてそこで花火を見ながら談笑していた。ボクは、J、おがゆうと三人で盛り上がり他の住民そっちのけだった(単純にリア充たちが怖くて話し掛けられなかっただけだが)。実は、浴衣さんが気になって仕方なかったのでチラチラ見てもいた。彼女は携帯をこまめにチェックしていたのだ。おそらくオフスレだろうが。その後はよく覚えていないが、途中で読書くんやチェリー(後の童貞おじさん)、じゃっきぃといった固定たちも合流し、安心した。。。

Jは実家が遠いため、先に解散しボクは彼女を駅まで送った。この帰り道〜改札までの間はグダグダだった。彼女は2人きりになるとしきりに浴衣さんをディスっていた。性格がキツそうだの、リア充名無しに色目を使っていただのそんなことをしゃべっていた。女の本能とでも言うのだろうか。浴衣さんに自分の地位が脅かされることを危惧していたのかもしれない。ディスりが終わると不機嫌になり、ボクは罵倒されながら改札まで送ることとなった。何であんな不機嫌になったのか分からないが、帰り際に「アンタの考えていること全然わかんない!!!」と怒鳴られた。人の頭の中が分かることのほうが珍しいことだろうと思いつつも、罵倒されっぱなしで気分が病んでしまった。ちなみ改札のところにやけにテンションの高い名無しが1名いて、「おや、あなたは未◯ワークさんに、あなたは女◯恋さんですねえ!!合流出来なかったけど最後に会えて良かったです!」と挨拶をされ、そのまま帰っていった。どうみても彼は固定集合画像で見覚えのある、ばくちゃんだった。。。

そして彼女が帰るのを見送った後は再び本体に合流しようとしたが既に解散ムードみたいだった。北千住のペデ上をフラついたあとまたJR改札へ引き返すと、偶然にも読書くんとおがゆうの横国コンビがいたので、3人で一緒に帰った。おがゆうは、自分1人がJを送ったことに対して、「1歩リードされた」と悔しそうにしていた。その後は非リアトークを楽しみ、それぞれ帰路についた。

家についてやることは当然オフスレチェックである。なぜか自分がイケメンだったとかそういうことがたくさん書かれていた。ちょうどその時、椎央大学スレでルーやよねん、樺太といったローカル固定たちと交流があり、彼らのイタズラと推測された。他にはボクが終始うつむき気味で他の参加者に失礼だといった非難のレスもあった。直感が働き、浴衣さんのレスだと推測した。ダイナマでオフの反省会を楽しむと、自慰行為して寝た。オカズは、浴衣さんだった。。。

その後もう一度Jと会う機会があり、場所は夢のディズニーランドだったがこの日は最悪の日だった。説教と罵倒をひたすらされて一日が終わったのである。この日でボクは心の底からウンザリしてしまい、完全に彼女と会うの辞めることにした。深夜に突然電話が鳴り出すこともあったが完全無視した。彼女を受け止めるキャパは、ボクには無かった。

その後、Jはゆうじんと交際を開始した。かなり長く続き、催しもあったそうだが、結局最後は別れてしまったようだ・・・



さて、こうして振り返ると、Jが機嫌悪そうだったのはボクが他の女に目移りしていたことが原因かもしれない。1人の女性をひたむきに愛し続けるということが、恋愛が成就するコツなのかもしれないと思った。かといってやりすぎるとストーカー認定されてしまうのが難しいところ。。。


2012年5月28日月曜日

エピソード2.1〜あのコピペの話〜

その後、真剣に大学生活板で取り巻いた成果が身を結んだのか、Jとは何度かデートを重ねることができた。彼女は、性にオープンな女性だった。

アキバ後はじめてのデートにて、彼女の地元ショッピングモールで映画を見て食事をした。ショッピングモールへは無料バスが送り迎えしてくれるのだが、バス内にてJがいきなりボクの手を握り、顔を肩に寄せて来た際には非常にドギマギし何も考えられなくなったのを覚えている。。そのような経験は人生初めてだったから無理もない。更に映画館で衝撃的な事が起こった。映画を見ている最中、Jは自分の手を彼女の胸元にやり、そして中のカップを触らせたのである。これにはもう訳が分からなくなり、現実世界にいないような錯覚さえ覚えた。トドメにテ◯ンも強要された。。そしてピクンピクン震わす肢体を眺めながら、その威力に感動した。夢でも見ているようだったが、紛れもなく現実だった。シアターの暗闇に映える彼女の顔は洋風で美しく見えた。ただレストランでの食事中、非リアに対するありがちな「自分を変えろ」的な説教もそのときにされた。説教をされたときは心底うんざりした気持ちになってしまった。親切心なのかもしれないが、勉強しない子供が勉強しろと親に言われうんざりするように、、その手の説教は完全にうんざりした気分になってしまい、頑張るぞとはならないのである。これが大学3年の春に経験した出来事であった。。。

初夏、ボクの在学していた都内とは思えない山奥に佇む、漫画げんしけんの舞台にも選ばれた椎央大学を訪れた。二人オープンキャンパスということで特にイベントの開催もない土曜日に構内を散策した。その前に、お隣のM星大学も探検した。偏差値でいえばこのM星大学は椎央大学に劣っており、Fラン呼ばわりされることさえあったのだが、ボクには妙にしっくり身体がキャンパスに馴染んだ。そもそも偏差値40台の公立高校出身であるのだから、どうにも我が卒業大学はハードルが高く感じ本来の居場所でないアウェイ感を常時感じながら卒業まで進んでしまった訳であるが、対してM星は本来の居場所感バツグンに感じたのである。今更そのことをとやかく言及しても仕方ないが。。

そして椎央大学探検に移ったが、真のメインはその後だった。。。多摩センター方面から多摩モノレール(多摩モノレールといえばキャナァーリ倶楽部の青春万歳!)を利用し通学する学生であれば分かると思うが、到着駅の一つ手前あたりにて、ホテル野猿というラブホテルを進行方向右手から一望出来るのである。実を言うと、このホテル野猿をいつか利用するというのがボクの大学時代の密かな目標の一つだった。つまり密かな目標は、この日をもって達成できたのだ!ただ、結局部屋に入れはしたものの、したことはテ◯ンぐらいだった。立たなかったのである。一応釈明しておくが、当時Jは19歳を超えていたので違法行為ではない。ちなみに、何故かこのホテル野猿にて、元U-15アイドル山中真由美ちゃんの口癖「しってるぅ〜」に大ハマりして連呼しまくっていた記憶がある。

J「私可愛いでしょ」
ボク「しってるぅ〜」

こんな具合である。非常にどうでもいいか。。

とにかく当日のホテル野猿におけるやりとりが、後にボクが大荒れしていたとき板に書いてしまいコピペ化されてしまった悪口の元ネタである。別にそのときは楽しかったしお尻を蹴り飛ばそうとも思っていなかった。ただ書いたときに凄くイライラしておりストレスが爆発してしまったのである。

そんなこんなで濃かった二人オープンキャンパスは幕を降ろした。非常に充実した一日だったと記憶している。その日の夜に、2ちゃんねる自大のスレに「ぼくは女の全てをしってしまった」といったような意味深ドヤ顏レスを残した。まだ童貞を卒業していないことには変わりないのに、である。。。




2012年5月26日土曜日

エピソード2〜何でコテデビューしたかって、そのためだよ〜

認識というヲタ用語がある。一般でも使用頻度の高い言葉であるけれども、ようは好きなアイドルに顔や名前を覚えて貰うことだ。そういうことが1番進んでいるヲタを最強ヲタともいう。

それで、インターネットの世界でも同じようなことが至るところで繰り広げられており、その様を客観的に眺めていると凄く滑稽だ、、、

しかし、ボクはある日を境にその滑稽な眺められる側に立ってしまった。2ちゃんねる某所のとあるハンドルネームをつけた女性に「認識」をされるために。。。

中学生の頃から2ちゃんねるをしていたボクは、アルコール中毒者やタバコ中毒者のようにそれなしでは生きられないカラダに変化してしまった。リアルで居場所の無い日陰者の唯一の居場所のような部分があったからだ。といっても、生粋の気弱な内向人間のボクは、2ちゃんねるを頻繁に見るようになってから初めて書き込みが出来るようになるまで2年以上かかったと記憶している。初めてレスをしたときは緊張して動悸が止まらなかった。ネットの名無しの世界ですら馴染むのに大変な苦労を要するのだから、現実社会で友達、ましてや彼女など一向に出来なかった。

だから、名前欄をデフォルトの名無しさん(これは各板によって変わってくる)でなくて、敢えて固有の名前をつけ自分を周りと切り離す固定のハンドルネームを付けることなども出来る訳が無かった。。

ところが、状況が変わったのは大学二年の夏休み頃からだ。当時は2007年で、既に大学生活板を覗いてはいた。しかし自分が在学する大学のスレッドを多少チェックする程度で、大学生活板、略してダイナマの固定事情についてはさっぱりだった。

そんな折、自大スレに異物が混入した。この異物混入事件が彼女、Jとのファーストコンタクトだったのである。

「渋谷で私に焼肉を奢るオフをやるから来てね☆」といったような、そんなふざけた感じのオフの告知だった。自分はからかい半分にレスを飛ばして会
話を直ぐに終了させた気がする。

半年後、ボクは固定ハンドルを付けて彼女、Jのスレを立て取り巻きになっていた。惚れたのかよく分からんが、Jに吸い寄せられていたのである。そして「認識」をされ、1番の取り巻きでありたいという欲求が沸々と湧き出してきた。

そのしつこさは一体何だったのか、遂に秋葉原で、Jと接触することに成功した。やりとりは基本的にスレッド上で行った。

たしか、万世橋のすぐ近く、今は無き石丸電気ソフト本店(旧ソフト2)7Fにて催されていた無料なのに2時間近く楽しめるアイドルイベント、新aiaiミュージックカーニバルのライブ終演後だったか、ダイナマのスレに彼女が少し離れたファミレスにいると情報をばら撒いていたので、騙されたと思って現地に赴くと、本当にいたのである。。

興奮で脳が麻痺していたか分からないがキラキラしているように見えた彼女は、二人がけのテーブルでカレーを食べていた。30分程話をした後(ほとんど覚えていないが印象を残すためヲタクアピールをした気がする)、「これもういらないから、あげるね」と食べ掛けのカレーを渡された。ボクはそれをペロリと平らげ、レジで男らしいところを見せようとカレー代を払った。ファミレスなのに1000円以上して高いと思った。

ここで彼女とは解散。解散後、まだ新aiaiミュージックカーニバル終演後の握手会は絶賛開催中だったので現場に戻り、ピーチという女子大生ぐらいの年齢のコと握手した。つ◯く♂プロデュースのアイドルで第二回メガネなんとかコンテストだかオーディションだかで優勝したらしい。。

帰宅後ダイナマのスレを開くと、Jの書き込みがあった。「◯◯、あたしの唾液入りカレーを食べて興奮してたよw」唾液入りカレーを食べたことについては興奮しなかったが、Jの妙な魅力に惹かれ、最強ヲタになろうと思った。あとピーチの太ももも、ムチムチしてエロかったのでフラッシュバックした。



2012年5月24日木曜日

エピソード1〜プロローグ〜

彼女との関係は、あっさり終わってしまったのである。つまるところ、自分にとって唯一、心を許せる大事な存在であった筈が、相手側からすれば優先順位ランキング100位圏内にすら入るか危うい(被害妄想にしてもそのくらいショックだった)取るに足りないネクラ人間だったのだ!

高校2年生から1番好きだった女性、Aとの関係は、大学3年に入ろうかという春休み、こうして終了してしまった。

彼女は、天真爛漫という言葉がよく当てはまり、クラスの輪の中心におり常に騒いでいるようなタイプだった。そして、キモヲタタイプの人間が視界に入ると先陣を切って「きんもー☆」と嘲笑していた。なので自分は、とにかくモーニング娘。やBerryz工房に関心があることを悟られまいと必死に隠していた。AKBブーム前のアイドルヲタクに対する風当たりは、強かったように記憶している。特にBerryz工房は小学生も在籍していたため絶対に知られたらマズイと感じていた。ちなみにAの顔は、そんなに可愛くなかった。しかし今振りかえれば、自分に声を掛けてくれるというだけで落ちてしまったのだろう。なんてチョロいんだ!

関係が終了したというのは何か宣告を受けたことを意味するのなく、単にメールの返事が来なくなったのである。1浪していたAから、大学合格の報告を某ショッピングセンターで受けた翌日以後、メールの返信は来なくなった。その時は隣に彼女の母もおり、「いままで娘が迷惑かけてきたのだから、何かあったときは頼ってね」的社交辞令を受けた翌日からである。

部活の後輩だったAとは、個人的に勉強を教えたり一緒に食事をする関係が続いていた。初めは決して自分から誘うことはなく向こうからの申し出であったが、ボクが大学進学以降は自分からも誘うようになった。そして家庭教師的ポジションを確立させたのである。

クリスマスにも2人で勉強を教え、ロールケーキをプレゼントされるようなイベントもあったとはいえ、考えてみればこの程度の関係で勘違いしてしまう女性経験の無さがいけないのかもしれないが。。とにかくそれを出来るという相手が生まれてこの方1人もいなかったものだから、惚れてしまっても無理はなかっただろう。。

この女性との経験は、8年が経とうとしている今でも忘れることが出来ず、たまにフェイスブックのページを閲覧しては友達申請のボタンを見つめ結局申請しないという時間の無駄を繰り返している。。

そして、このキモヲタにも優しく接する系、小悪魔と連絡の付かなくなった大学3年の春から、精神的支柱を失ったボクのネナン生活がスタートしたのである(その前兆は半年程前からあっかもしれないが、忘れた)。